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行ってみたい場所〜それは極楽浄土

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今週のお題「行ってみたい場所」

無宗教の私でも極楽浄土という素晴らしい場所が良い子でいたらいけるらしいという教えを知っている。そこはとても良いところで、暑すぎず、寒すぎず、とても綺麗、衛生的な場所で、年中、いろんな四季折々の花が一度に咲き乱れ、お腹が空けばご飯が蓮の花から出てきて、そこらの水はとても綺麗で、喉が乾けばいつでもその乾きを潤すことができる。人は皆そこで幸せだ。

うる覚えな解釈なので間違いだらけかもしれないけれども、、、実は、もう私はそんな場所を知っている。

それは今。この世界、この日本という国だ。

エアコンがあって部屋にいれば快適で、暑くもなく、寒くもないように室温を保つことができる。喉が乾けば蛇口を捻るだけで安全な水が流れてくる。食事もお腹が空いたら冷蔵庫から取ればいい。ちょっと努力して近くのコンビニへ行けば、ほとんどの日常の用はそこで足りてしまう。農作物は技術が向上したおかげで、年中、四季折々の野菜を楽しむことができる。花もそう。そして何より、日本は綺麗で衛生的で平和。まさに極楽浄土。

昔の人は昔にないものを想像して“こうだったら素敵だな”と“極楽浄土”を思い描いたけれども、数百年、数千年経って、それが今は普通のことになっている。

良い子にしていて、輪廻転生、昔の人がこの今の日本に生まれ変われたのなら、それは極楽浄土に生まれたにほぼ等しい。

ふと思う。極楽浄土は本当に過去の“想像”の産物なのだろうか?

例えば、昔の人が何かしらの間違いで未来にタイムスリップしてみた先が日本の今で、それを極楽浄土としたのだとしたら?

人は漠然と足りないと感じつつも、その足りないものを埋める為の“何か”を具体的に描写するのはとても難しい。人の多数は、これまでに経験したもの、また、経験したものを組み合わせて“何か”を生み出している。1から2、1から3を作ることはできても、0から1を創造することは難しい。それは大昔から今に至るまで変わらない。

今、私は何が足りないのかな?と想像するとき、実に満たされていて(お金持ちではないけれども(笑))、何もない。欲しいものはあっても、こうであったら良いなと思える世界が見当たらない。すると、私にとっての極楽浄土はどんな世界なのだろう?と何故か不安になってしまう。良い子でいて、死んで、行き着いたその先は本当に“自分が満足できる”場所なのだろうか?と。(地獄に落ちてるかもしれないけど、、、)

だから私は夢の中でも良いから今の私がさらに満たされる極楽浄土があるのならそれを見てみたい。もしかしたら、それは過去にあるのかもしれないし、未来にあるのかもしれない。

それを見ることができたのなら、私の残りの40年の人生が大きく変わる気がする。

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