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“artext.design”はただのブログです。 一見、何の変哲もない静かなブログですが、 いつでも野望は100万PV。 私は文で呼吸したい。


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『入所者が自立すれば、職員の手はその分かからなくなる』は幻想

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mainichi.jp

2018年度改定では要介護者の減少を目指し、要介護者の状態を改善した事業者を評価する仕組みが検討されているらしい。そのパラダイム・シフトはおそらく、家族や介護現場をいたずらに疲弊させるコトが目に見えている。(本人にとって良いか悪いかは別として、、、。)

簡単な話だ、例えば、今まで車椅子だったヒトがなんとか歩けるようになったとする。車椅子で自走したら3分で行けるトイレに、歩行で6分かかってしまったとしたらどうだろう?なんとか歩けるレベルであれば、危険防止の為、その6分間、移動中、職員は付き添わねばならない、すでにここで3分ロスしている。そして、なんとか歩けるようになった人間は、トイレに行きたいと職員に付き添いをお願いした際、他のヒトを介助している最中で待ってて欲しいと言われたらどうするだろう?待つだろうか?ほとんどの場合、待たない。そして、立ち上がり、歩き、運が悪ければ転倒する。転倒したらどうなるか?職員は必要であれば少ない人員を割いて病院に連れていくことになるだろうし、病院にいくほどもものでなかったとしても、事故の報告という事務作業が待っている。家族からお叱りを受けるかもしれないし、下手すれば訴訟も起きる。

認知症という病気はその進行を緩やかにすることはできても、発症すれば治ることは今のところない。そもそも、介護度の認定はそのヒトの身体能力のウェイトがとても高い。身体能力で介護度はいとも簡単に上下する。すると、要介護状態の改善に重きを置くのであれば身体能力の向上になるけれども、そうすると、進行する認知症と元気な身体が組み合わさって、さらに手がかかってくるという悪循環になるだろう。

 

人間というのは認知症の老人であっても、できることが増えるとモチベーションが上がり自信を取り戻す。それ自体はとても素敵なコトだし、人間らしいと思う。しかしながら、その反面、その自信が結局、認知症の影響で自分の意思決定の妥当性を考えるコトができないので自分を危険に晒してしまうことが多い。施設であれば転倒して怪我くらいで済むけど、家であれば外に出て車に轢かれてしまったり、電車を止めてしまったり、行方不明になってしまったりと、人様にかなり迷惑をかけてしまう可能性もある。

実際、介護をしていると、介護度3くらいのお年寄りの方が、出来ているようで出来ていないことが多いし、歩き回るし、主張もできるので手がかかる。その対応に翻弄されて介護度5で寝たきりのヒトのオムツ交換が遅れてしまったり、コールへの対応が遅れてしまったり、、、正直、介護度5のお年寄りの方がたくさんのお金を支払っているのに、介護度3のそれにそれをかすめ盗られている状態に見える。施設にあって寝たきりのお年寄りは、実は、最も我慢を強いられている存在だと私は思う。

故に、改善したら報酬を支払うのではなく、そもそも介護保険の支払い部分を改善して、こんな感じで、介護3を頂点にした支払い形態にするべきだ。

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『入所者が自立すれば、職員の手はその分かからなくなる』は幻想。『入所者が中途半端に自立すれば、職員の手はその分、別のところで増えていく』が現実。

 

 

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