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“artext.design”はただのブログです。 一見、何の変哲もない静かなブログですが、 いつでも野望は100万PV。 私は文で呼吸したい。


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或る老人 尿瓶最適化

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介護の仕事について数年。尿器(いわゆる尿瓶)を使う老人は多かったが、失敗せずにそれを使用できるヒトは極めて少ない。

尿器を使うにあたっての絶対要素、それはペニスの長さだ。小さい(短い)ほど失敗の可能性が高い。体感的には5cm以下はほぼ確実に失敗する。便利な道具ではあるけれども、その失敗は結局シーツや衣類を汚してしまったりなんだりで、余計な手間になる。それを考えずに尿器の使用を『排泄の自立は心の自立』などとかっこいいことを言いながら、その人の大きさを考えずに勧めるケアマネージャー(主に女性)がいるのだから迷惑極まりない。もちろん、オムツにしてしまって“排泄への意識”が低下してしまうのはそのヒトにとって不幸であることは認めるが、、、だ。

そんな中、尿器を華麗に使いこなしている老人に出会う。しかも頭の中はかなりクリアで、自分の身体能力に合わせて“敢えて”尿瓶を選択している。ケアマネージャー的には、“自立支援”&“ADL向上”の為に、トイレを使わせたいようなのだが、本人はそれを頑なに拒否している。立てるし、動けるのにだ。ただ、その理由は極めて理にかなっていて、“あと数年も生きないのに、失敗のリスクを犯してまでそれをする理由、意味が見当たらない”と言う。未来がない、未来にそうするべきビジョンがないのに、ヒトの排泄に干渉してくれるな、というのが彼の言い分だ。確かに、これは否定できない。

ただ、施設にいる介護職として尿瓶の使用はともかくとして、これだけは彼に伝えたい。ほぼベッドの上にいるからと言って、尿瓶を使いやすいようにと、陰部を常に露出しているのは、、、さすがにかっこ悪い。確かに、常に出ていれば、尿意を感じた時にすぐに差し入れることができる。とても合理的で尿器の使用に特化した最適化なのは分かる。ただ、股間を出したまま生活しているって、、、あまりに社会性を欠いた、原始的な生活だと私は思うんだ。

 

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