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“artext.design”はただのブログです。 一見、何の変哲もない静かなブログですが、 いつでも野望は100万PV。 私は文で呼吸したい。


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或る老人 親の心のみが残る 罪と罰

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その老人が初めて施設の利用をしたのは、その介護者が亡くなったことが直接的な理由だが、生きていたとしてもどのみち利用することが決まっていた。その介護者から虐待を受けていたのだ。

家族ならではの精神的な葛藤から虐待の状態に陥るケースは多いが、その老人に関しては意図的に金品を子に搾取されていた。つまり経済的虐待である。しかし不思議なことに、彼女は子に虐待を受けていた記憶がない。そればかりか、亡くなったその子に関する記憶はどれも良いものばかりで、また、亡くなったことすらも記憶にない。彼女は施設にいることに関して不本意さを抱えている。身元引受人はもう一人の子になるのだが、彼女の解釈では、虐待をしていた子と何故だか引き離され、それはもう一人の子が仕組んだことなのだという。そしてこともあろうに、そのもう一人の子に経済的な搾取をされていたと主張している。ここにいるのは、もう一人の子が身ぐるみを剥いで自分をここに捨てたのだと言う。とんだ濡れ衣である。

施設に入所して1年が経過した頃、そんな不本意さを折々に口にしながらも落ち着いて生活していた彼女に変化が訪れる。認知症状が進行し、幻覚に悩まされるようになった。亡くなった子が毎日夜になると枕元や鏡の中に現れるのだという。その子は押し黙り、身動きも瞬きもせず、ただじっとそこにいて彼女を見つめているらしい。その子に対し、その老人は『こっちに来い』だの『寝なさい』だの『何か食べなさい』だの優しい言葉をかけている。もちろん、反応はない。困り果てた老人は職員にその話をするがいっこうに解決しない。そうするうちに夜、眠ることができなくなった。

夜の闇は心の隙間を広げ、いっそうヒトを狂わせる。そして彼女は病んだ。

もう彼女の心に平穏は訪れない。もしも、その心に穏やかさが戻ることがあるのなら、さらに認知症状が進行し、自分は誰なのかも、何をすべきかも、何がしたいのかも忘れ廃人になったときであろう。

こういった老人は珍しくないが、彼(彼女)は何の罪でこんな罰のような余生を送らねばならないのだろう?とふと思う。キリスト教の有名な言葉の一つに『ヒトは生まれながらにして罪人である』とあるが、認知症はその贖罪の為の通過点なのか?全てを忘れることが『赦される』ことなのか、それとも記憶を残し何かしらの罪悪感や良心の呵責を持ったまま償い続け、死をもって赦されるのか?

生きる(生かされる)ということはなんと残酷なことだろうと私は思う。

 

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