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“artext.design”はただのブログです。 一見、何の変哲もない静かなブログですが、 いつでも野望は100万PV。 私は文で呼吸したい。


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或る老人 最高の肉体と思想を持った廃人

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その老人はある日スーツを着てやってきた。細身で長身。優しそうな面持ち、何より顔に品がある。手を引かれてはいたが、歩き方もスマートでその雰囲気はまるで面会者のよう、むしろ付き添っている奥様の方が施設に相応しく見える。しかしながら、現実的には、そのご主人が本入所となる予定で、介護度は5、実はその老人はまったく意志の疎通がとれない廃人のような男性であった。こちらからの問いかけに関しては『あぁ、、、』としか答えることが出来ない。接すれば接するほどに残念で、その優しそうな笑顔はただ惚けてしまっているにすぎないのだ。

その日、カンファレンスを終え、その老人の終の住処は我が施設となった。部屋に案内しても、取り乱す風でもなく、興味を示す風でもなく、ただただ備え付けの椅子に腰掛け虚ろな瞳で宙を見上げている。家族は施設に預けるのが心苦しいのかしばらく一緒に居たけれども、その空間に一緒に居ることが辛くなりほどなくして帰宅した。スーツを脱がせ楽な服装に着替えさせる。その老人はマネキンのようにされるがままだ。そのスーツの下には衰えているとは言えども、同年代のほかの入所老人と比較すれば極めて発達した筋肉を持っていた。聞けば、つい最近、数年ほど前までは野球やゴルフを趣味とし、朝のランニングも欠かないスポーツマンだったようだ。そんな過去を嘲笑うかのようにリハビリパンツを履いている。すでにしてしまっているようで、発酵したようなマイルドな臭いを漂わせていた。

食事の前にトイレへ。もちろん、彼はトイレを理解することが出来ない。これからすることも、されることも。トイレへ入り便座へ座るように誘導したが、彼はそれが理解できない。拒否でもない。ただただ、そこに座ることが理解出来ないでいる。発達した足は床に根を張り微動だにせず、膝は折れない。そして、念のためにあてがっていたパッドは生まれたての尿に濡れ温かくなる。

食事席へ。彼はやはり食事を理解していない。食事を前に動かない。スプーンを渡してみる。そこで初めて食べることを思い出したようだが、その食べ方はゾンビ映画のワンシーンのようなおぞましさを感じさせた。品のよい顔立ちに散りばめられた食事の跡はやはりそんな場面を連想させる。ただ、この老人を見て、映画に出てくるゾンビたちも、何故に人間を喰らうかというその意図は分からねど、生きるという意味では一生懸命なのだろうなとふと思う。

そして、夜。リビングでテレビを見ている姿、読めずとも新聞を眺める姿は、その体格、その顔をして、ドラマに出てくる経営者のようで、それもそのはず、彼は定年を迎えるまで、誰もが知っている企業の重席にあった。何も分からなくなったとして、体に染み着いた仕草や雰囲気は自然とそこにとどまっている不思議。

彼は眠らない。眠ることを知らない。昼夜が逆転しているわけでもない。彼は彼の時間を生きていて、24時間というサイクルではなく、彼の体内の時計に従って必要なときに活動を止める。暦だの時計だのが生まれたが故に生来それに縛られている我々に対して、規則正しい生活とは何ぞ?食事の時間?昼に起きて夜に寝る?そんなもの糞喰らえ、食べたい時に食べ、寝たきゃ寝る、したいときにするまでさ、それが俺、それが自然と言うものだろ?とアンチテーゼを投げかけてくるその生活は、極めてフリースタイルだ。

 

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