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或る老人 忘却は幸せか?

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その老人は極めて不幸。男運が悪く、彼女の半生はその男の借金を返済し子を育てるだけにあった。良い子に育ったはずの子の一人は順風満帆な人生から一転して転落の上今でも行方知れず、幸せな結婚をしたはずの娘はその後程なくして亡くなった。

彼女は認知症ではあるけれども、それ以前に心が壊れている。その耐え難い記憶を根本から封印し、家族の関係性を自分の都合の良いように再構築している。孫は子となり、自分の面倒を見てくれている遠縁の男性を自分の夫とした。そして認知症になり今に至る。全てを忘れ合理的に再構築できれば幸せなのだが、結局、彼女はお金に纏わる苦労だけは忘れることができず、お金に苦労し働き詰めては搾取されていた日々生きている。不幸ではある。しかしながら、同時に、その時代が彼女にとって一番充実した時代であったのだろう。それを忘れてしまえば、きっと彼女は空っぽになってしまうに違いない。もしも、それすら忘れ空っぽになってしまった時、彼女は幸せと言えるのだろうか?

ヒトは何故認知症になるのか?昔は孤独を忘れる為、今は死から目を逸らすためだとも言われている。そして『忘却なくして幸福はあり得ない』とアンドレ・モーロアさんは言う。どうにもならないコトは忘れてしまい先に進むコトが大事なのだと。

でも、忘れていくことに不安ばかりの認知症老人にとって、この忘却は果たして幸せなものなのだろうか?再構築すらできないほどに不揃いなジグソーパズルと格闘する毎日で一向に先に進まない日々を送ることに何の意味があるのだろうか?

 

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