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或る老人 親の心子知らずで子に憎まれ続けた親

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長らく独居で生活していた老人がいた。夏になると短期入所の依頼が来るものの頑として利用を本人が拒絶する為に実現しなかった案件だが、今年になってついにそれが実現した。認知症がやや進んだ上に脳梗塞となり倒れ、本人にそれを拒絶する力がなくなった為だ。

カンファレンスの日、目の前には人の良さそうな弱々しい老人と恰幅の良い子、その妻がいた。たしかに独居では難しそうな老人ではあるけれども、自立度は高く、そこまで認知症も進んでいないコトから同居してさえいれば在宅でも続けることができると私は見立てた。しかし、子夫妻の希望は本入所、本入所ができないのであれば、できるだけ長く短期入所を、本入所が叶わないのであれば本入所先が決まるまで老健への入所を進めたいとのことだった。どこでもいいから預けて、とかく家に入れるつもりはないと。

親がいなくなった後、恰幅の良いその子はこう切り出した。 「私はねこの父のせいで自分の人生を選択できなかったのです。厳しく雁字搦めにされて自由がなかった。今でもそれを恨んでいます。姉が一人いますが、そちらは放任といいますか、、、姉に言わせてみれば、父は私には一生懸命だったけれども、姉は見放されていたと、私はそれが羨ましかったのですが、姉弟仲もそれで悪くなりました。これもすべて父のせいなんです。」 どんな葛藤があったのかは本人にしか分からないことだけれども、還暦を過ぎたおじさん、しかも肩書は校長先生が、なんと身勝手な理屈を並べ立てることか。少なくともその立派な肩書は父親のおかげでもあろうと私は思う。話の節々から感じるに、こんな親は捨ててしまいたいけれども世間体というものがある。まして自分は教育者、分かって下さいますよね?と言わんばかりだ。

カンファレンスが終わり、とりあえず預かることとなった。

その老人が来た日、本人に息子のコトを聞いてみた。老人は言う。 「あれはね、昔からできの良い子で少し厳しくも躾けましたがよく育ってくれた。あたしの自慢です。今では立派な先生ですよ。」 あの時代を生きた老人は我が強く、頑固で、自分の子を自分の思うレールに乗せたがる人間が多かったのかもしれない。もちろんそこには、世間体や見栄というものが全くなかったとは言えないけれども、それでもその本質は子の将来を思ってのことだと思う。自慢の子に捨てられたこの親は、子育ての過程で何を間違えたのだろうか?

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